南インド冥想ヨガリトリート2025 レポート
インドで開催した冥想ヨガリトリートレポート。ようやっと、言葉を紡げるようになってきました。
今回は南インド、ティルバンナマライにある
「アルナーチャラ」
その山自体がシヴァ神として崇められている場所へと向かいました。
一言でいうならば、
“わたしを知る”
“神を知る”
“真実を知る”
(この3つの言葉は同一の意味)
ことをサポートしてくれるエネルギーがある場所だった
何があったというわけではない。
けれど、日本に帰ってからジワジワを教えの導きぐが深まっているように感じる。
この地は、沈黙の聖者と呼ばれるラマナ・マハルシが、生涯のほとんどを過ごし、多くの人を迎え入れた場所だ。
彼の言葉がまとめられた本をいくつか読んだが、頭ではなんとなくわかるものの、本当にはわかってないんだろうなぁと、この地を訪れる前は感じていた。
それが日本に帰ってきたら、その言葉たちが腹落ちしてきたのだ。様々な先生から与えて頂いた智慧も、もうひとつ深く腑に落ちていっている感覚がある。
聖者ラマナの教えの根幹は言葉ではない。
言葉による教えを与える代わりに、彼は絶え間なく沈黙なる存在の力を放射しつづけけ、それに同調した者たちの心は静められ、ときによって彼自身が絶えず没入している真我の実現、その状態の直接体験を与えたと伝えられている。
後年、言葉による教えを与えるようになるが、生涯を通して、シュリー・ラマナはこの沈黙の力の流れこそが彼の教えの最も直接的な凝縮された形であり、言葉による教えは、彼の沈黙を理解できない者たちのために与えられたものであると主張している。
きっとアルナーチャラには、その沈黙のエネルギーが残っているのだろう。
彼が愛した山を歩き、彼が瞑想した洞窟で静かに座り、彼が大切にした行、Virupaksha(アルナーチャラ山の周り14kmを歩く)をした
特別な神秘体験をしたわけでも、
気づきが降ってきたのでもない。
だけど、ただ静かに自分の中で理解が深まっている。なんだか不思議な感覚だ。
今回のリトリートは、元々は南インドでのアーユルヴェーダ体験を考えていた。しかしその企画が上手いこと纏まらず、今年のリトリートは見送ろうかなぁというタイミングで、ある先生からアルナーチャラの話を聞き、あれよあれよとそっちの方向で話が纏まった。
ああ、導かれていたのか。
今はそう思う。
参加してくれたみんなと話している中で、ああ、あなたもここに呼ばれてきたのね。と感じることがあった。
リトリートのような多くの時間をみんなと過ごす時間を持つときはいつも思う。
私がおこしていることなんてなにもない。
わたしはただ配置され、縁のあるものが結ばれ、おこることがただおこる。
わたしは我をしずめ、その力にひれ伏し委ねるだけ。
そうやっておこされることの、なんと美しいことか。
この時間が与えられたことに感謝します。