天川洞川リトリート「祈りの道に触れる」レポート
天川洞川リトリート「祈りの道に触れる」
開催しました。
私がこの場所に移り住もうと決めた大きな理由は、
この地の自然や信仰の持つエネルギーが、自分の純度を保つのを、助けてくれると感じたから。
そして私がヨガを通して伝えたいと願っていることは、この地での方が圧倒的に伝わると感じたからです。
今回もこの地で出会った、信頼する人たちの力を借りて、開催することができました。
最後のみんなのシェアリングを聞いていて、
「ぁあ、この場所にみんなを連れてくることができてよかった」と心底思いました。
みんなを迎えるまでに、たくさんの準備をするけれど、当日を迎えていつも思うのは、大事なことは私が頑張ることではなく、起こることに身を委ねること。
こういう体験をして欲しい、こう感じてほしい、準備したものを全うしたい、と思う私のエゴを抑えて、関わる人と、大自然を通して、神様が起こすことを信頼し、明け渡すこと。
私が必要以上に言葉にしたり、動くことで、みんなの純粋な体験を奪わないように。
神様が起こそうとしていることを、私が邪魔してしまわないように。
そのために、自分の純度を高めることに力を尽くそうと、強く感じた時間でもありました。
参加してくれたメンバーもみんな愛を持って集まってくれていて、私が氣なんか使わなくても、みんなニコニコ楽しそうに過ごしてくれて、私が何も言わなくても、みんな積極的に協力して動いて、ご飯の準備や後片付けが終わっていくのを「なんて素晴らしいのだろうと」その世界の在り方を感動しながら見ていました。
その場を用意したのは私だけと、その空間を創っていくのは、集まった一人一人。
参加してくれたみんなが持ち帰ったものは、きっと、私やこの地の自然や祈りだけではなく、集まったみんなから受けとったものだろう。
みんなで創造した尊い時間。
こんな時間を過ごす度に、私は人間の尊さを再確認させてもらいます。
人生に起こる様々な現象の中で、自分の中に美しいとは思えない自分を観る時にも、目に映る世界に絶望しそうになる時にも、こんな時間が見えない光の糸となり、「わたしたちはみな尊い」という真実に、私をギリギリのところで繋いでくれている気がします。
私一人がどんなにちっぽけな存在であったとしても、その小さい存在の集合で世界はできている。
私をどんなにちっぽけな存在だと思い込んでも、私たちの命は、多くの命に支えられて、今この瞬間もここに在る。
認識していようがいまいが、私たちは繋がっていて、影響しあい、生かし、生かされ、生きている。
私が幸せであるならば、
私の内が平和であるならば、
世界は確実に一歩平和に向かっていく。
今日も世界を創る担い手の一部として、いい世界を創りだすために、自分の命を使う私でありたいと願う。
アップしている写真は、参加してくれたみんなが撮ってくれたもの。みんなの目線の天川村洞川を改めて見ると、なんて美しいんでしょう。
縁あって今この場所に住まわせてもらっていること、改めて有難いなぁと感じます。
このリトリートに関わって下さった、全ての存在に感謝します。
みんなありがとう。
いつかまたこの場所で、お会いできることを楽しみにしています。