ヨガスートラ&タントラリトリート
4日間のお休みを頂き、Retreat Space Noah’s Ark で行われた、なお先生とこまよ先生による、ヨガスートラ&タントラリトリートに参加してきました。
この期間は携帯電話の電源もオフにして、外からの刺激を減らし、自分の内に目を向ける時間をつくりました。
ちょうど紅葉の時期にあたり、美しい色に囲まれながら、優しく、深い時間をすごさせて頂きました。
Noahを初めて訪れたのは、去年の9月。
そこでの経験や氣づきを境に、私のヨガや意識の在り方は、静かに大きく変わったと感じている。
そこから自分を深く観ていく、というプロセスが始まった。
その道を進む中で、迷って、焦って、氣づいて、分かった氣になって、また迷って、困って、、、を繰り返した1年だった。
このリトリートに参加する前は、迷子になっている時期だった。
本当にしたいことってなんなんだ?
今一生懸命やってることって、本当に私が望んでることなんだろうか?
私のこの世界での役割ってなんだ?
「あらあら、わからないことだらけで、どうしましょう???」ってね。
リトリートが始まって、先生からのはじめの問いかけは、「あなたは何を知りたくてここにきたのか?」でした。
その問いかけには「自分を知りたい」という答しか出てこなかった。
やっぱり私は、ここに戻ってくるのか。
そう思った。
一人ではなく、仲間とともに過ごす時間。
私はその仲間一人ひとりの中に、何度もわたしを見つけた。
みんなが鏡となって、私に「わたし」を見せてくれた。
その中に見つけた「わたし」は、泣いていても、笑っていても、苦しんでいても、楽しんでいても、誤魔化している時も、正直である時も、とても愛おしかった。
先生たちを通して伝えられる智慧は、光となって私が見えていない部分を照らす。
照らされて見えるようになった部分は、喜びと感じることもあれば、目を背けたかったり、腑におちるまでに時間を要することもある。
そんな時は、苦しかったり、不安になったり、迷ったりする。
だけどそんな苦しさも、先生たちとの時間を積み重ねることで、結局は光に変わっていった。
この学びは、たった1つ真実を、違う言葉や体験を通し、何度も何度も繰り返し学ぶ。
その中で、わかった氣になって、わからなくなってを繰り返す。
同じところをグルグル回っているようなんだけど、重ねるたびに、ぼんやりだった智慧の光が、少しづつはっきりしてきているように感じている。
今回腑に落ちたのは、
わからないということは、楽しいということ。
闇は無くて、全ては光であるということ。
私が必至で手放そうとしている無知は、私が世界を楽しむために与えられているということ。
はやく知りたいって、なんだか焦ってた1年だったけど、これからはもっと「わからない」を楽しんで、この道を進んで行けそうです。
ここは、私の帰るおうち。
頑張って疲れた時、迷って不安な時、帰ってきて、安心して、また出かけていく場所。
こんなにもまっすぐに愛を表現してくれる人がいて、私もまっすぐ愛を表現することが出来る場所。
導いて下さる2人の先生と、沢山の光を見せてくれた仲間たちに、言葉にならないくらいのありがとうを伝えたいです。