導かれ開かれた道
9月 中頃
Noah’s Ark Retreat Space
インストラクターのためのマントラリトリートに参加しました。
マントラを学びたかったわけじゃなかった。
ただ、なおさんとこまよさんが作り出す、空間に身を置いてみたかった。
ずっとこの場所に来たかったけど、いつも都合が合わなかった。
今回奇跡的に、参加することができました。
このタイミングになったということも、必然だったように思います。
報告が遅くなったのは、あの4日間は、私にとって、とても衝撃的だったから。
初めてちゃんと向き合うマントラ。
強力なものは、使い方で毒にも薬にもなる。
そう感じた。
リトリート中、何度もふらふらになった。
こんなにも寝てるのに、マントラを唱えると、ぐったりするほど眠くなる。
自分では自覚無かったけど、顔色が相当悪かったらしい。
マントラは、中途半端に唱えるものでは無いと、先人たちが口酸っぱく言っていた意味を、体で理解した。
そして中途半端な理解の人に教わったり、邪心がある人に教わるのは、相当危ないと思った。
音に揺さぶられて、少しづつ目覚める感性。
この学びの時間、ずっと問われ続けたのは、「覚悟」だった。
それなりに腹を括って生きてきたつもりだけど、私が担いたいと思っている役割をするには、今の覚悟じゃ全然足りないみたいだ。
私がしたい事をするには、すごいパワーが必要で、そんなパワーをちっぽけな私は持っていない。
だから助けてもらわなきゃいけないんだけど、助けてもらう存在の大きさに氣づき、恐れ慄く。
向き合うということは、大切にするということは、なんて怖くて、痛くて、大変なことなんだろう。
今すぐ逃げ出したいと思うと同時に、「ちっぽけな自分が、どうか逃げないように、守って下さい」って自分のどこかが祈るんだ。
そんな動揺の中、終わりを迎えた、マントラリトリート。
日常に戻ると、どんなに大切な思いも氣づきも、色褪せることがあることを、私は知っている。
でも、どうかここで感じたことが、自分の中から失われませんように。
この経験を境に、私のヨガは新しいフェーズを迎えるだろう。
ここから、新しい歩みを進めます。
大切なものから、逃げない私でいられるように。調和をもたらす存在であれるように。
この期間、体力的なのか、精神的なのか、どちらだったのかはわからないけど、結構ギリギリの状態で、周りに氣を使うことも、自分を取り繕うことも出来ず、私はありのままの自分でいるしかなかった。
それが許される、護られた空間だったこと、周りの全員が、そんな私を自然に受けとめてくれたことを、とても有難く思います、
守り導いてくれた、なおさん、こまよさん、
そのままの私でいることを許してくれた、ともに過ごした仲間たちに、心から感謝します。
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