お花の瞑想
少し前になりますが、お誕生日に頂いたお花を、曼荼羅にしました。
お花を使った瞑想は、私が先生から教わった、大事な大事なワークです。
このワークは、毎回たくさん自分と向き合うことになります。
今までは、全ての素材を生かしたいという気持ちが強すぎて、曼荼羅自体が調和がとれないことが多かったから、今回はとにかく曼荼羅の調和を大切にし、1つ1つの選択をしていきました。
出来た曼荼羅は、確かに今までで一番調和がとれていた。
でも上手に作るこばかりに気を取られて作った曼荼羅を見てると、何だか自分の氣持ちが抜けてしまって、いまいち愛おしいく思えない感じがして、、、。
せっかくお花の命を頂いて作ったのに、こんな気持ちになるなんて、、、、と少し凹んだ。
最後に、私のために命を捧げてくれた、お花に感謝の心を込めて、mantraを唱えました。
氣がすむまでmantraを唱えて、目を開けたら、さっきまで少し悲しい氣持ちで見つめていたお花の曼荼羅が、とても愛おしいものに感じたんだ
そうか。
大切なものだから、大切に扱うのではなく、
大切に扱うから、大切なものになるのか。
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以前に、ネパールに行った時のことを思い出した。
まだヨガを今ほど真剣にやっていなくて、スピリチュアルなものに、疑いや嫌悪が強かった頃。
ネパールの人たちは、私たちが空気があるのが当たり前だと思っているように、神様がいるのが当たり前で、日々感謝と祈りを捧げて、暮らしていた。
あまりにも当たり前に、神様とともに生きる人たちがつくる空間では、信仰心が無い私でも、「神様がいるなあ」と感じたんだ
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私はいまヨガを通じて、自分を生かしてくれている何らかの力に、感謝すること、祈ること、委ねることを学んでいる。
その心の在り方は、確かに私に強さと優しさを与えてくれる。
神様とは?
祈るとは?
それは、未だによくわからない。
だけど、、、。
だからこそ、私はその行いを大切にしようとする。
私の周りが、大切なもので溢れるように。