ヨガモジ 254/365 「偏」
迷いがないというのは潔いように思えるが、見方を変えたら偏りともいえる。
自分が常に正しいと思っているんでは少々バランスが悪い。
悩んだり、迷ったりするのは、様々な角度から物事を見て、偏りを作らないように模索している証拠なのではないのだろうか?
ヨガモジ 254/365 「偏」
迷いがないというのは潔いように思えるが、見方を変えたら偏りともいえる。
自分が常に正しいと思っているんでは少々バランスが悪い。
悩んだり、迷ったりするのは、様々な角度から物事を見て、偏りを作らないように模索している証拠なのではないのだろうか?
ヨガモジ 252/365 「栗」
きんとんは「金団」と書き、その色から黄金にみたてて財宝にたとえられ、金運の縁起物とされています。
何気なく食べているおせちも、そこに込められた願いを思いながら食べると、食事をすることがお祈りになっていきます。
食べることは、自分の中にいる神様にお供えをする行為。
普段から、1つ1つの食材に願いを込めて料理したり、食べることができたら、私たちの食事はより豊かになっていくのでしょう。
ヨガモジ 250/365 「昆」
「こぶ」は「よろこぶ」に通ずるとして、縁起が良いとされています。
だじゃれでございます。
昆布巻き、結び昆布と様々な調理法があり、鏡もちにも使われて昆布大活躍です。
ヨガモジ 249/365 「巻」
「伊達」の由来は華やかさ派手さを表す言葉
江戸時代、長崎から江戸に伝わった「カステラ蒲鉾」が、しゃれた身なりの伊達者たちの着物に似ていたので伊達巻と呼ばれるようになったそうです。
形が巻物に似ているため、知識が増えるようにとの願いが込められています。
ヨガモジ 248/365 「豆」
「まめ」は元来、丈夫・健康を意味する言葉です。
「まめに働く」などの語呂合わせから、勤勉で健康に暮らせるようにとの願いが込められています。
黒には魔よけの力が有るとされて、邪気を払うという意味も込め、黒豆を食べます。
ヨガモジ 247/365 「蒲」
おせち料理は、「節」といわれる季節の変わり目ごとに、豊作を感謝して神様にお供え物をした「節供」に由来し、漢字では「御節料理」と書きます。
正月三が日は、神様をお迎えした新年に台所を騒がせない、釜戸の神様に休んでもらうという、普段よく食事を作ってくれる女性にを家事から解放するという意味も含め、保存の効く食材が中心のものになったといわれています。
おせち料理は、ひとつひとつの料理に意味が込められています。
半月形の紅白蒲鉾は「日の出」を象徴するもの。
紅はめでたさと慶びを、白は神聖を表します。