
ヨガモジ 258/365 「義」
悪いとわかっていることを、胸を張ってやり続けられる人はそうはいない。
同じ行為であっても、そこに正義があると、人はものすごく強くなる。
正義の名のもとに、酷いことでも出来てしまう。どんなに周りを破壊しても、人を傷つけ幸せを奪っても、自分は善いことをしていると胸を張って。
人を傷つけるのは、悪意だけにあらず。
正義からくる行いこそ、気を付けなければならない。
強い力は、周りを幸にも不幸にするものだから。

ヨガモジ 258/365 「義」
悪いとわかっていることを、胸を張ってやり続けられる人はそうはいない。
同じ行為であっても、そこに正義があると、人はものすごく強くなる。
正義の名のもとに、酷いことでも出来てしまう。どんなに周りを破壊しても、人を傷つけ幸せを奪っても、自分は善いことをしていると胸を張って。
人を傷つけるのは、悪意だけにあらず。
正義からくる行いこそ、気を付けなければならない。
強い力は、周りを幸にも不幸にするものだから。

ヨガモジ 257/365 「粧」
心のお化粧は男女に関わらずしている。
ありのままの自分よりも、周りと調和できるように。
ありのままの自分よりも、周りを楽しませることができるように 。
ありのままの自分よりも、 周りを 傷つけることがないように。
化粧をして美しくなった自分を見ることは、自分自身をハッピーにしてくれる。
ただし化粧は毎日落とさなければ、色素沈着してもとの姿に戻りずらくなるし、肌はボロボロになる。
心の化粧も毎日落としてあげないと、心が疲れてくる。
どれが本来の自分だかわからなくなる。
ヨガをすることは、心の化粧を落としてあげること。
素顔の美しさを思い出すこと。
それができたら、また次の日もお化粧した自分を楽しんで、お出かけすることができる。

ヨガモジ 256/365 「垢」
垢を落とすときにはゴシゴシこする。
その際には、多少の痛みを伴います。
一皮むけるときには、多少の痛みは伴うようです。
しかし、そのタイミングさえ間違えなければ、痛みは最小限で抑えられられます。
まだ一皮向ける準備ができる前に無理やりゴシゴシすると、傷つくだけで終わります。

ヨガモジ 254/365 「偏」
迷いがないというのは潔いように思えるが、見方を変えたら偏りともいえる。
自分が常に正しいと思っているんでは少々バランスが悪い。
悩んだり、迷ったりするのは、様々な角度から物事を見て、偏りを作らないように模索している証拠なのではないのだろうか?

ヨガモジ 252/365 「栗」
きんとんは「金団」と書き、その色から黄金にみたてて財宝にたとえられ、金運の縁起物とされています。
何気なく食べているおせちも、そこに込められた願いを思いながら食べると、食事をすることがお祈りになっていきます。
食べることは、自分の中にいる神様にお供えをする行為。
普段から、1つ1つの食材に願いを込めて料理したり、食べることができたら、私たちの食事はより豊かになっていくのでしょう。

ヨガモジ 250/365 「昆」
「こぶ」は「よろこぶ」に通ずるとして、縁起が良いとされています。
だじゃれでございます。
昆布巻き、結び昆布と様々な調理法があり、鏡もちにも使われて昆布大活躍です。