ヨガモジ 202/365 「評」
ものの良し悪しを評する時には、そのことについてよく理解し、自分の考えが明確にあり、行動がその考えに値するものでなくてはなりません。
よく知りもせず、調べることもせず、自分の考えも持たず、ただ批評している人の意見に価値はありません。
ましてや、批評をすることで自分の立場を上に見せようとするなんて、愚の骨頂です。
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ヨガモジ 202/365 「評」
ものの良し悪しを評する時には、そのことについてよく理解し、自分の考えが明確にあり、行動がその考えに値するものでなくてはなりません。
よく知りもせず、調べることもせず、自分の考えも持たず、ただ批評している人の意見に価値はありません。
ましてや、批評をすることで自分の立場を上に見せようとするなんて、愚の骨頂です。
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ヨガモジ 201/365「才」
自分の周りに才能がある人がいないのではありません。
その人の才能を見い出す能力が、自分に無いだけです。
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ライティングを担当させて頂いたヨガジャーナルオンラインの記事。
今回は恩師の龍村先生に、先生のお師匠にあたる沖正弘先生の教えである「断捨離」についてお話して頂きました。
奇しくも昨日、沖正弘先生のご生誕100年祭の日に記事がアップされました。
私にとっても大切なものとなっている沖ヨガの教え。
ものすごいエネルギーと愛情を込めて書いた記事です。
皆さまの日々に寄り添い、時に叱咤激励してくれる、素晴らしい教えです。
お時間ある時に、是非ゆっくり読んで下さいませ。
記事①
執着や未練を手放そう!「断捨離」3つの行法とは|龍村修氏にインタビュー
記事②
日常生活でできる「未練や執着」をスッキリ手放す秘訣とは|龍村修氏にインタビュー
記事は全部で5記事です。
残りの記事もお楽しみに☺︎
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gYpsy party 主催で行われた「release time」
解放がテーマの2時間クラス
忙しすぎるスケジュールや、考え事や心配事で頭の中がいっぱいになると、身体は萎縮し、心にもゆとりがなくなる。
体にも心にもスペース(空間)を作っていくと、本来の自分が顔をだします。
この日は最高の天気で、江ノ島には素晴らしい空が広がっていました。
今日はクラスのはじめに、「三密」のお話をさせて頂きました。
「三密」仏教の言葉。特に空海が伝えた密教の教えになります。
仏教では、生命現象はすべて身(身体)、口(言葉)、意(心)という三つのはたらきで成り立っていると説いています。
この3つの働きを、仏と一体とするというのが、三密の教えになります。
ヨガには、「梵我一如」という言葉があり、これは神様と真我(私たちの魂)は同一のものであるという意味になります。
三密の教えをヨガクラスに適用すると、
「体、呼吸、心(意識)、を自分自身がイキイキする扱いができるように練習する」
となります。
自分がイキイキする方向に向かっているかの情報は、自分の内部感覚にあります。だからヨガクラスの時間は、外側からくる刺激ではなく、自分の内側の感覚に意識を向けて(内観)、自分自身の情報を得ていくのです。
ヨガが他の体操と異なるのは、心(意識)を取り上げているところです。
私たちは意識が向いている情報をよりキャッチし、その方向へと動いていきます。例えば、赤い車が欲しいと思ったら、道路を走っている赤い車がいつも以上に目にとまり、他の車は意識されません。
自分の向かいたい方向へ意識(イメージ)を向けるというのも、ヨガの練習においてとても重要です。
イメージを使うことにより、ヨガの効果はUPしますし、何より自分が生かされる意識(心)の使い方の練習になります。
是非、意識(イメージ)と内観をヨガの時間に取り入れてみて下さい。
久しぶりの再会の方、初めてレッスンを参加してくれた方、いつも来てくださる方もいて、すごく嬉しい時間でした。
ご参加の皆様ありがとうございました!
またお会いしましょう( ˊ̱˂˃ˋ̱ )
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ヨガモジ 179/365 「刀」
名刀は、鉄を何度も熱い火の中に入れて、何度も打って打って仕上げる。
自分を輝かせるときにも同じようなことが起こる。
今ある自分の能力は、出来たら避けたかったアクシデントを必死で乗り越えたり、何度も繰り返された、自分にとって不都合で、嬉しくない経験の数々の中で磨かれたように思う。
苦しみの中で開発され磨かれたその能力は、人を助け私に喜びを与える。
人生に輝きを与えるのは、楽しい時間ではなく、歯を食いしばって踏ん張るあの時間なのかもしれない。
ヨガモジ 173/365 「夢」
叶えたい夢を持ったとき、そこに向かって進まなければ、当然そこには辿り着かない。
逃げ続けた先がたまたま夢の場所だったなんてことはない。
「でも」という言霊で突破口は開かない。
「だって」という言霊では人も神様もはサポートしてくれない。
夢に向かい続ける意志と、起動修正できる柔らかさと、その道を楽しむ心を持って、今日も進んでいくのです。