ヨガモジ299/365 「捧」
私たちは、自分の立場、願望、好き嫌いなどに執われ日々生活をしています。
捧げるとは、これらに囚われず、条件や理屈抜きで全て行うことです。
捧げる練習をすると、無条件の心が育ちます。
無条件の心になって、はじめてみえてくるもの、受け取れるものがあります。
捧げるという行為は信仰です。
無条件の心を育むために、信仰が必要なのです。
ヨガモジ299/365 「捧」
私たちは、自分の立場、願望、好き嫌いなどに執われ日々生活をしています。
捧げるとは、これらに囚われず、条件や理屈抜きで全て行うことです。
捧げる練習をすると、無条件の心が育ちます。
無条件の心になって、はじめてみえてくるもの、受け取れるものがあります。
捧げるという行為は信仰です。
無条件の心を育むために、信仰が必要なのです。
ヨガモジ298/365 「制」
五感は、外の刺激と私たちの心を、繋げる役割をします。
外からの刺激は絶え間なくあります。全て刺激を心の中に入れてていたら、常に心は振り回され、くたびれていきます。
私たちは意識をどこにを向けるか選ぶことで、どの刺激を受けとるかを選ぶことができます。
意識を必要に応じて、五感に繋げたり切り離したりできれば、外からの刺激があっても、それに振り回されない状態にすることができます。
これが、ヨガの八支則にあるプラティヤハーラ(五感と知覚の制御)で練習することです。
その智恵は、神道の祓いの言葉である六根清浄でも伝えられています。
【六根清浄より】
目に諸(もろもろ)の不浄を見て 心に諸の不浄を見ず
耳に諸の不浄を聞きて 心に諸の不浄を聞かず
鼻に諸の不浄を嗅ぎて 心に諸の不浄を嗅がず
口に諸の不浄を言ひて 心に諸の不浄を言わず
身に諸の不浄を触れて 心に諸の不浄を触れず
意に諸の不浄を思ひて 心に諸の不浄を想はず
ヨガモジ 297/365 「覚」
自分が疲れていることに気がつかなければ、疲れを取り除くことはできない。
自分をケアをすることは、自覚することからはじまる。
自分の情報をより得るには、感覚を磨くこと。
感覚を磨くには、大きな刺激からだんだん小さい刺激を感じるように練習していく。
例えば、鐘を鳴らしてその音が小さくなっていくのに耳を澄ましたり
手を擦って温めて、その温度が戻っていくのを感じたり。
そうした練習を積むことで、微細な体の反応を感じることができるようになってくる。
体の変化を観る練習をすると、無意識だった心の動きを観ることも上手になっていく。
まずは感覚を磨くことからはじめよう。
ヨガモジ 296/365 「犠」
自分の利だけを追求しようとする利己主義がいけないのと同様に、相手にだけ得をさせ自分が傷つき害を受けるという自己犠牲もいけないのです。
どちらかに偏らないように。
遅れながら、、、
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ヨガモジ 295/365 「再」
思い出し笑いや、思い出しイライラ。
私たち人間は、過去起こった感情が何かの拍子にあたかも今起こってるかのごとく湧き上がるという、感情の再生産があります。
心に残っている感情の種。
この種がある時には、誘い水があるとまたいつでも発芽します。
苦しみの種の多くは、傷つけられたと、否定されたと感じたときに生まれた、自分が正しく相手が悪いという、自分の価値観が元になっています。
自分の中にある価値観が原因であるとき、他のせいにしているうちは、この種は取り除かれず、ことあるごとに苦しい感情が再び沸き上がります。
相手ではなく自分の中に原因があるのだから、自分の価値観を変えていくしか苦しみから逃れることはないのだと、視点を変える必要があるのです。